ガーデンカタログ
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RYUKYU-GLASS琉球ガラス溶け込んでいるのは、沖縄の自然と時間。琉球ガラスの歴史は比較的浅く、明治時代に長崎や大阪からやってきたガラス職人によって、ランプのホヤや薬瓶などの生活用品が作られたのが始まりとされています。戦後は、原料不足の中でアメリカ軍が持ち込んだコーラなどの廃瓶を再利用し、ガラスの器作りを開始。再生の過程で混入する気泡やぽってりとした厚みも“素朴な味わい”としてデザインに活かされ、こうして沖縄独自のガラス文化が誕生しました。現在の琉球ガラスは、原料の品質も技術も格段に進化し、平成10年には沖縄県の伝統工芸品に認定。沖縄を代表する工芸品として、暮らしの中に溶け込む芸術品として、日々発展し続けています。琉球ガラスは、昔ながらの廃瓶を利用したもののほかに、原料ガラスを利用したものがあります。今回、ご紹介する琉球手洗ボウルの素材は、廃瓶ではなく原料ガラス。珪砂(けいしゃ)と呼ばれる砂を主原料に、ソーダ灰や石灰などを混ぜ合わせて作られています。さらに、この原料に一酸化コバルト(青色)、酸化銅(水色)、二酸化マンガン(濃紫色)などの着色剤を調合し添加。1300℃の高熱で一晩かけて溶かしたものが、色ガラスの素地になります。暮らしの中に溶け込む、光の芸術品。1300℃の溶解窯の中には、高温の水あめと化したガラスの素地。商品のデザインに合わせて、窯ごとに必要な色に分けて用意されています。まずは、そのドロリとした液体を吹き棹の先に巻き取ると、間髪を入れず、リンと呼ばれる鉄のお椀のような道具に移して形を整え、小さな下玉を作ります。次に、この上に別の(商品によっては、同じ)色ガラスの素地を巻き付け、色や形のバランスを整えた後、クルクルと吹き棹を回して息を吹き込み、ガラスを膨らませていきます。吹き棹の先で少しずつ形になってきたガラスを、1000℃の整形窯で加熱。息を吹き込み、さらに膨らませていきます。そして、ある程度の大きさになったところで、トング状の洋バシで整形。ここから、窯に入れては熱し、取り出しては口を広げる作業が何度も繰り返されます。この間にも、職人の額には玉のような汗が。何しろ相手は高温のガラス、そして、工房内の気温も夏場は涼しいところでも40℃を超える暑さになります。こうして息もつかせぬ工程が続き、ややあって、ボウル状の形のものが姿を現します。これをハサミでカットして吹き棹から外せば、琉球手洗ボウルの完成です。温度×時間×手仕事から生まれるもの。【琉球ガラスの色彩】ビールの茶、コーラの薄緑、セブンアップの緑…、アメリカ軍が持ち込んだ色付きの廃瓶をきっかけに、琉球ガラスは、その特徴である鮮やかな色彩を手に入れました。現在は、色を通じたより繊細な表現のために、粉状の原料ガラスが主流に。オレンジ、茶、緑、水色、青、紫の6色を基本に、調合によりピンクや黄、黒など、濃淡を含めてさまざまな色ガラスが作られています。【琉球ガラスの気泡】1300℃の窯の中で水あめ状に溶けたガラスの素地に、炭酸水素ナトリウム(重曹)を加えて撹拌すると、無数の細かい気泡が現れます。気泡は時間が経つにつれて、サイダーの炭酸が抜けるように少しずつ薄くなっていくので、頃合を見計らって窯から取り出し整形します。かつては、廃瓶の再利用により不純物が混ざることで生じていた気泡。原料ガラスを使う工房が増えた現在では、気泡は“素朴な味わい”を醸し出す技法のひとつとして受け継がれています。331
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